主婦が作る焼肉のタレYOSHIができた理由が簡単ではありますが、わかっていただけると思います。今回は、タレのギフトセットを3名様、妻カツ丼3名様にプレゼントしますので、是非、3月28日(金)までに応募ください!
「美味しかった〜お腹いっぱいや!また来るわな!」笑顔で言ってもらえる、そんなお店「やまざと」です!
鬼畜 やまざとさんの歴史を教えてください。
田中 昔は、村岡商店街で商売をしていました。田中家初代の曽祖父が大正〜昭和初期に商店街で鮮魚店から精米屋、精米機のレンタル業を始めたそうです。
祖父が商売に長けていて、専業店、うどん屋、豆腐屋、パチンコ屋など手広くやっていました。当時は珍しいアイスキャンディーを製造販売し、現在の基礎となりました。祖母は飲食店をやっていて、今の喫茶店の基礎となりました。昭和42年に国道9号線が開通し、店を商店街からこちらに移転しました。
父は、アイスクリームの製造販売から、卸業に方向転換しました。
鬼畜 代表が後を継いだのは?
田中 神戸でアパレル業のサラリーマンをしていました。妻と知り合い1995年3月に結婚式を挙げる予定でしたが、1月17日に阪神淡路大震災があり、延期になったんです。
奥様 私は、コープ神戸に勤めていましたが、ほとんど全部の店が地震で潰れてしまったんです。3月に自分だけ寿退社をするなんて出来ませんでした。想像つかないような現状に、どうしたらいいか分からなくなりました。今これを手伝わないと大変なことやと思い結婚を延期しました。結局は、結婚式場も地震で潰れていたんですけどね。「あなた、一人で頑張ったってどないもならへんでしょ」って言われましたが、そういう問題じゃなくて、何かの役に立ちたかったですよ。
鬼畜 後悔引きずって、幸せになれませんからね。
奥様 結局、高校を卒業し18年コープに勤めたんです。
田中 結局、僕も地震を理由に村岡に帰らず、9年近く会社に残りました。結婚式は、震災で潰れた結婚式場が申し訳ないからと、系列の式場を紹介してくれて半年後に結婚式を挙げ、子供も授かりました。
友達の家も潰れ、自分たちが住んでいた家も傷み、本社が燃えているところがニュースに移り、「仕事中やったら死んでたんやな」と思った時に、人生観とか価値観が変わっちゃいましたね。
鬼畜 いつ村岡に?
奥様 先に主人が一人で帰り、私は3年後に帰ってきました。
神戸で一人で子育てをしていたのですが、いいお友達のグループが出来て、みんなで助け合いをして楽しい子育てが出来ていたんです。何なら、主人がいなくても仕事もできるし子育てもできるし、ずっと神戸でおれるなって思ったんですよ(笑)
本心は、田舎での商売が家族三人が生活出来るかどうかが一番心配だったんです。二人ともサラリーマンで、決まったお給料が入って来るのに、二人とも辞めてゼロになって、本当にやっていけんの?って思ったんです。それを主人に言ったら答えられなかったんですよ。
冷静に考えて、親二人に私たち三人の五人家族になって、楽に生活できるはずがないと思いました。バブルが弾けて景気も良くなかったですしね。だから「先に帰って商売して生活できるか確かめてから呼び寄せてほしい」って言ったんです。
鬼畜 ご主人さん、責任重大じゃないですか!重いですね。
主人 重いんですよ。めっちゃ重いです。
奥様 週末になったら主人が帰ってきてくれるから、週末婚みたいな感じでした。
田中 村岡ではアイスクリームの卸とは別に、喫茶店と本屋もやっていました。アイスクリームは父がやってたので、僕はそれを引き継ぎました。それでも、アイスクリームの卸業だけでは先行きが見えないので、全国ご当地アイスのネット通販を始めました。
僕は、子供の頃からアイスが大好きで、大好きなアイスがいっぱいある夢のような生活でした。今でもアイスが大好きで、新しいアイスを探しては取り寄せて、食べて気に入ったら取引してもらいます。好きなものがたまたま商売になった感じかもしれないですね。僕が帰ってきて、3年後に父が癌になって、正式に後を継ぎました。
奥様 私が村岡に帰ってきた理由が、お義父さんの癌ですね。38歳の時です。それから、ここの喫茶店を手伝っています。
鬼畜 タレを始めたきっかけは?
奥様 この焼肉のタレは、実家の母が子供の頃から作ってくれていたタレなんですよ。焼肉だけでは無くて、色んなものに使えるんです。それがめちゃくちゃ美味しくて、この店の味付けにも使っていました。
コロナ禍で店を閉めていた時に、常連さんたちから「あのタレを何とか分けて欲しい」って言われ、分けていたんですよ。そうしたら「ちゃんと売って欲しい」と言われたんです。タダだったら、これから分けてもらいにくいって。それをきっかけに、商品化を考えました。
鬼畜 お母さんの味を再現するのに苦労されたのでは?
奥様 実家が西脇で、野菜は母が自分で作り、西脇の醤油を使っていました。真似をして、こちらの原料で作ってみたのですが、味が全然違ってて、母の味には程遠かったんです。播州の醤油は甘口なんですよね。寒い地域の醤油は、ちょっと辛いんですよ。それを、同じ味にするのに試行錯誤し1年かかりました。試作しては母のところに持っていき、味見をしてもらってダメ出しをもらい、また作っては母の所への繰り返し。
鬼畜 播州の醤油を使った方が良いんじゃないですか?
奥様 そうなんですけど、私は田中家が60年以上お付き合いがある醤油を使いたかったです。
鬼畜 このタレの特徴を教えてください。
奥様 忙しい人や主婦は、パートが終わって児童館に子供を迎えに行って帰ってきてご飯。子供を早よ寝かせて、早朝から弁当にご飯。忙しい30代、40代ぐらいの子育て世代のお母さんたちが、便利で美味しくて時短の出来るタレにしたいなっていうのがあったんですよ。自分がほんとに大変やったから。だから、同じ焼肉のタレでも、万能タレみたいな感じにありしたいなと思って。母はそれを使ってお鍋してくれたり、炒め物してくれたり、いろんな料理をしてくれたのを知ってたから、これ1本あったら簡単に子供が喜ぶような、家族が喜ぶような料理ができる、それが売りですね。
本当は万能タレって名前を使おうとしたんですけども、特徴がなさすぎて分かりづらいので、焼肉のタレっていう名前にしています。
鬼畜 将来の展望は?
奥様 タレ単品ってやっぱり販売に限界があります。なので、タレを使って作る材料とタレをセットで販売したいなって思っています。例えば、豚肉の生姜焼きを真空パックにして、袋から出して焼いたら完成みたいなイメージです。また、八鹿豚のお肉を使った肉味噌を今のタレで作るとか・・・このタレのおいしさをみんなに知ってもらいたいですね。
あらためて活字にして読んでみると、様々な人生の岐路があったんだと人生を振り返ることもできますね(笑)
1時間以上インタビューを受けましたので、活字になっているのはほんの一部ですが、鬼畜編集長には感謝しております。
是非一度、主婦が作る焼肉のタレを手にとってみてください。
サイトのご案内はこちらからです。「全国のご当地アイスクリーム便やまざと.com」
◆この車でアイスを配送しています。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、人と人との間に十分な距離を取る「ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)」を視覚的に表現したブランドロゴを作成しました。